昨日は久しぶりに詩織に電話した。昔のメールを読んでいたらなんとなく声を聞きたくなってしまい、余計な事は考えずに電話した。いつもの詩織がそこにはいる。それでいい。これ以上幸せな事はあるだろうか?彼女のことを考えなくなること、彼女を感じることがなくなること。それ以上に悲しいことはないだろう。出会えたことの幸運に感謝したい。
僕もあるがままでいることだ。それが僕の役割だろう。恋はかくもせつなく、はかなく、苦しく、楽しく、ドキドキさせてくれる。
詩織のすべてを分析し、細胞のひとつひとつまで分解し、SMという言語を焼き付けていかねばならない。しかし、それは本当にSMであるべきなのだろうか?なんだか、SMなんてただの1要素でしかないように感じる。インターネットカフェの男子トイレでの全裸撮影・・・・、あの時の詩織の笑顔・・・、あれがひとつの答えなのだろう。しかしまあ、もっと問わねばならない。その細胞のひとつひとつに・・・・。